我が母、毒親につき①

毒親

書けば少しは昇華されるんでしょうか・・・

家を出るまで「おかしい」に気づかず、

家庭を持ち、子を持って明らかに自分の育てられ方が「おかしい」と気づき苦しみながらなんとかできないか模索中です。

一人めの産後うつも少なからず毒親の無意識の支配が原因している・・とカウンセラーの見立て。

さて、私はどのように育てられたのでしょうか?

そして周りに同じような人が少ないのですが、なぜ他の親とうちの親は違ったのでしょうか??

母親のバックグラウンド

7人兄弟の下から3番目。THE昭和の家庭って感じですね。大家族。

父親(私からするとおじいちゃん)は厳しく、亭主関白。食事のマナーが悪いと箸が飛んできた。という話も聞きました。母親(おばあちゃん)は子育てと戦後の生活で必死だったと思います。

地元を離れて就職をし、そこで職場婚をし私が生まれます。

たぶん周囲に知り合いもなく、頼る人もいなかったでしょう。里帰り出産をしていますがその後は完全なワンオペ。父は昭和の働き方真っ盛りで始発→終電の生活だったようです。

幼少期

私は一人っ子でした。5歳くらいの時に母が妊娠したようですが早期で流産しています。

「一人っ子だから厳しく、甘やかさないで育てた」

このフレーズは成人してもずっと言われ続けています。ある種呪いです。

幼心に「しっかりしなきゃ」「わがまま言っちゃダメだ」

と刷り込まれて成長していきますから。

今、自分の子供が夜泣きや甘えてくるなど手がかかる話をしたら、私自身は全く手がかからなかったそうです。一人遊びをし、ミルクで育てたからか夜もしっかり寝るいい子・・・

幼児が一人遊びで手がかからないってちょっと怖くないですか?

確かに忙しい時や疲れている時は助かりますが、うちの子なんて両親を従えて遊んでますよ。「ちょっときてー!」が当たり前。

そう思うと親に甘えられない?甘えてはいけない幼少期を送ったの?なんて、覚えちゃいないですが想像しちゃいますよね・・・

義務教育

小学校に上がっても優等生でした。班長、学級委員などは数回やっていましたし、勉強も頑張って通知表は体育以外はほぼパーフェクト。絵も得意でコンクールに出されたりしていました。

体育ができないのは憶病な性格ということもありましたが、両親は比較的運動ができたらしいので、運動が苦手な私を「憶病だから」とか「親はできるのに何で?」とか毎回言われていた気がします。

特にテストでいい点を取っても通知表が良くてもすごく褒められた記憶はありません。

「何で勉強できるんだかね?」やできない体育にフォーカスを当てた評価ばかり覚えています。

後々聞きましたが、あえて褒めないで育てたそうです。

謎過ぎますが、このあたりで自己肯定感の低い人間が出来上がっていきます。

中学で部活に所属していましたが、ちょうど思春期。人間関係に悩むころです。

今思えば周りの友達はどうしていたんでしょう?もともと一人っ子で人間関係の構築が苦手な私です。悩みは尽きませんでしたが、親に相談することはありませんでした。

というより人生で「親に相談する」という選択肢がもともと欠落していました。

普通そんなもんですかね?自分の子供には全部相談してほしいとまでは思いませんが、内容によっては気楽に、もしくは最後の砦的な相談相手として門をひらいていたいな。そう思って安心してほしいな。と思っています。

ちなみにうちの親の口癖は「うまくやれ」でした。どうやるっちゅーねん(笑)

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